常識を疑って生まれる無敵の独創性!

2017年11月5日
自己啓発 読書

皆さん、こんにちは。

今日は、アンドリュー・パーカー著の「眼の誕生」という本を読んでいます。

「今日は」と言っても、購入したのは割と前なのですが、普段、並行していくつかの本を読んでいる間に、後回しになってしまっていたため、時間を見つけて読了しました。

タイトルは「眼の誕生」となっていますが、内容は、「眼」の進化に限らず、「カンプリア紀」という、生命の進化がもっとも爆発的に起こった時代の謎解き的な一冊となっており、単に歴史を辿るだけではなく、生物学、地質学、物理学などの見地から、様々な考察で進化の謎が研究されており、終始退屈させない内容になっています。

化石から像を復元する際、かつては、ほとんどが想像によって描かれており、その後の技術発展によって、恐竜などは、多くの人がイメージしているものと異なる姿であることがわかってきた、というくだりなどは、とても興味深い話です。

更には、皆がよく知る「イエス・キリスト」のイメージ(長髪で髭を生やした白人)は、教会関係者などによって都合よく作り上げられたものであった、という史実などは、いかに我々が「疑う」ということをせず、情報を鵜呑みにしているか、ということについて考えさせられる一節です。

その「疑う」という行為ですが、「疑念」や「猜疑心(さいぎしん)」などという言葉からは、どちらかというとネガティブなイメージが想起されますが、実は、正しい道、正しい方法を見出すためには、必要不可欠な行為だと、私は考えています。

この世の中には「常識」と言われる、一定集団の中での、共通情報、共通規範があります。

その「常識」は、ほとんどの場合、「暗黙の了解」として、人々を正しい方向へ導くために機能しますが、「暗黙」が故に、それが当たり前になることで、人々の感覚が麻痺し、例えそれが間違っていたとしても、それを「疑う」ことさえ、「非常識」と捉えられてしまいます。

例えば、大半の学校教育は、一日のほとんどを学校で過ごす子どもたちを、誤った「常識」に塩漬けにしています(全てが誤っているという意味ではありませんが)

最近、私の子どもは、LINEでのやりとりについて学校で注意されたのですが、正直腑に落ちない点だらけでした。

偶然、その日に学校を訪れていた私は、教師と直接話したのですが、時間の都合もあって、状況を聞き、その場で、自分の子どもに注意すべきことを伝えて、一旦は話を終えたものの、よくよく考えてみれば、何の問題も無いことでした。

実際、そのことについて報告した生徒も、半ば「あぶり出し」のような形で、ちょっとした出来事を伝えただけで、特に心痛めたと言うわけでもなく、逆に、その子の親から「気にしないでくださいね」などと心配されたくらいで、結果的に、学校からは「悪」と認識されているLINEについて、私の子どもがスケープゴート(生贄)にされた形になっていたのです。

私は、ITに長けていて、かつ、ネットでの子どもの様子をわかっていましたので、子どもを信じて、実際の善悪を判断することができましたが、これが他の家庭であれば、怒られた子どもが「悪」で、その子どもが使っていた「LINE」や「インターネット」も「悪」という話で終わってしまい、表層的な「常識」、この場合であれば「LINE」や「インターネット」は「問題を引き起こす悪いもの」といった、偏った「常識」で片付けられていたに違いありません。

もちろん、「LINE」も「インターネット」も、日常的に問題は起こっており、私を含め、利用する側は注意することが必要ですが、インターネットが問題で「死亡した」という事件などは、稀(まれ)な話で、危険度で言えば、道路を歩いている方がよっぽど「死」の危険があります。

又、「いじめ」に関しても、LINEやインターネットは、いじめっ子の間のコミュニケーションツールの一つになっているだけであり、問題は「いじめ」をしている子の気持ちの問題であって、ネットがあろうが無かろうが、いじめは起こりうるのです。

少し話がそれましたが、「常識」とされている多くのことは、メディアによって誤った形で人々の心に植えつけられ、又、子ども達は、誤った「常識」を植えつけられた大人達によって、間違った教育をされています。

この「常識」を「疑う」ということは、教育に限らず、読者の皆さんのような、フリーランスや独立企業家にとっても、非常に気をつけるべきテーマの一つです。

その自ら起業されている人にとって最も重要なことの一つに、「独創性」というものがあります。

「独創性」というものは、皆が共有している決まった情報や規範からは生まれません。

これまでにあった「常識」を「疑い」、その外側に目を向けることで、初めて、新たな考えや発想が生まれ、「独創性」が作られるのです。

「新しいこと」は、何も、ニュースで取り上げられているような流行りのことだけではありません。

進取性(しんしゅせい)のあることは、皆が「常識」と思っていることの外側にあります。

皆さんが、「周りの競合に差をつけたい」「他と違ったアイデアがなかなか浮かばない」と、自身に限界を感じているならば、まずは、普段「常識」と思っていることに「疑い」の目を向ける癖をつけるようにしましょう。

「眼」を獲得したカンブリア紀の生物のように、「常識」を打ち破り、新たな視点から物事を考える習慣が身につけば、唯一無二の「無敵の独創性」を獲得できるはずです!

この「常識を疑って生まれる無敵の独創性!」は、また、本ブログやメルマガで掘り下げていきたいと思います。


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