皆さん、こんにちは。
今日は、と言いますか、ここしばらく、理系の雄である東工大の教授でありながら社会学者でもある橋爪大三郎さんの「ゆかいな仏教」を読んでいます。
この本は、Kindle Unlimited対象だったので既にダウンロードして読んでいたのですが、なぜか紙バージョンも購入して読んでいました。
副題は「ブッダはキリストと何が違うのか?」とされていますが、私は、この副題が「仏教は一神教のいわゆる宗教とは異なるものである」という主張だと捉えています。
実際、この本の中では、ブッダ、つまり、出家したゴータマ・シッダールタが、悟りを開いた後も、あくまで一人の人間であり、我々となんら変わらないことを暗喩しながら、話が進められています。
仏教と言うと、輪廻転生や生きている間の行い、あるいは、念仏を唱えることや、仏を崇めることが強調されがちですが、歴史を正しく学んでいる人からすれば、多くの仏教宗派があとから付け足された教義によって成り立っていることは明白だとわかります。
私は、仏教の専門家では無いので詳しい話はしませんが、ブッダ=釈迦が、悟りを開き学んだことについては、おおまかにでも多くの人が知るべき知識だと思っています。
そして、釈迦が悟りを開いて得たことの中で大きなことの一つは「空の論理」です。
「空」とは、全てを包摂する概念であり、全ての事象の説明でもあります。
例えば、線が交差している「点」を説明する場合、厳密にはその交差した箇所は「面」であり、厳密には「点」という概念が成り立たなくなります。
しかし、理論上、「点」という概念は存在しているのですが、「点」を厳密に定義することはできません。
このような概念を「空」と定義し、全ての事象は、この「点」のように、「あるかもしれないが、ないかもしれない」という不安定な状態で成り立っているとしています。
又、そのような「空」の状態は、この世に存在する全ての事象がお互いに関わりあって成り立っていることから、それが「縁起」と呼ばれる状態であり、「縁起」によって「空」の概念が成り立っているということを示します。
少し話しが難しくなりましたが、釈迦は、覚りを開くことにより、非常に「抽象度」の高い視点を得て、世の中の全ての事象の状態を理解することができたのです。
仏教を絡めて話をすると誤解が生じるかもしれませんが、ここ数年で流行っている「マインドフルネス」や「瞑想」などは、釈迦が覚りを開くきっかけなになった方法のごく入り口のやり方であり、より高い視点、つまり「抽象度」の高い視点から物事を見れるようになるための方法の一つに過ぎません。
しかし、重要なのは、「マインドフルネス」でも「瞑想」でも、自分の才能を信じ、自らに押し込められている「潜在意識」を引き出すことです。
多くの人が自分の中にある才能に気づいていながら、自ら押し殺し、開花できないのは、周囲の環境や、世間的な常識によって毒されてきた結果です。
その抑制された「潜在意識」を引き出すのは、自分自身ですから、「もしかしたら自分にできるかも?」と思っていながら、自分を押し殺してチャレンジする気持をくじかれてきたならば、どんな人間にとっても、全ては「空」であり、その「空」の状態は自分にも変えられると思えば、どんなことにでもチャレンジできるでしょう。
皆さんも「周りからダメだと思われるから」とか「失敗して文句を言われたらどうしよう」と思うことがあれば、全ては「空」であり、状況を変えるのは自分であると思い、臆することなくチャレンジしてみてください!
この「物事の全ては「空」である!」は、また、本ブログやメルマガで掘り下げていきたいと思います。