皆さん、こんにちは。
今日は、子どもの同窓会があり、その会に親として同席しました。
子どもの会にしては終宴時間が遅かったのですが、その後、一部の子どもたちが、そのあとに「カラオケに行きたい」のようなことを言っていたので、私は「他の親がいいならばつきあうよ」といった姿勢で静観していました。
結果的には、ほとんどの子どもが帰り、残った子どもたちで、楽しい「大人の時間」を引き延ばそうと、子ども同士でグダグダ話し合っていたのですが、最終的には、親側の「けしからん」という理由で解散となりました。
就寝時間が遅くなることは睡眠不足の原因になりますし、成長を阻害する一因にもなることを考慮すると、生体的には反対の意見なのですが、「ちょっと背伸びしたい」「この時間を少しでも引き伸ばしたい」と思う子どもの気持ちは、ものすごく理解できますので、無理やり解散させたりせず、子どもたちの意向に沿おうと傍らで待っていました。
しかし、お母様方の突き刺す視線によって、その気持ちも遮(さえぎ)られ、あえなく解散となり帰宅しました。
この話についての道徳的な議論はさておき、私は、こうした、その時ににしか得られない気持ちをないがしろにすべきでは無いと思っています。
私の母親は良い意味での放任主義で、父親は悪い意味でかかわりがありませんでしたので、私は、子どもの頃から自分の好きなように行動し、実体験に基づいて、良いこと悪いことを自分で学んできました。
それ故に、経験をしたことも無い人が、「世間的な常識」という曖昧な理由をふりかざし、それによって、自分以外の人の気持ちを押さえつけることに、強烈な違和感を感じます。
そもそも「世間的な常識」というものは、多くの場合、社会的な洗脳であり、その根拠を考えることなく、「みんながそうしているから」という理由で、その社会に属する人間は、その考えを洗脳的に植え付けられています。
万人に共通して「道徳に反している」と感じられることにまで、主張を押し通すつもりはありませんが、ある一瞬に、「こうしたい」「こうありたい」と思う気持ちは、誰であれ、邪険に押しつぶすべきではありません。
これは、子どもだけではなく、大人にも言えることです。
特に、サラリーマン的に会社に隷属している人にはなかなか理解されませんが、そもそも「こうしたい」「こうありたい」と思うことは、人間として純粋な気持ちの発露にも関わらず、多くの場合「大人の事情」によって、その気持ちもつぶされてしまいます。
洗脳された人々からすれば、「そんなの当たり前だよ」とか「大人なら常識だよ」という意見を返して終わりになってしまいますが、私は、断じて、そのような意見を許容できません。
もしも皆さんが会社勤めで、自分の「こうありたい」を主張したがために、上司からの評価が下がったならば、即刻その会社を辞めるべきです。
あるいは、このブログのターゲットである、フリーランス/独立企業家であれば、クライアントの「おうかがい」を立てるようなスタイルで仕事をしている場合は、すぐにでもそのやり方はやめ、自分が「やりたい」と思うスタイルを貫き通すべきです。
「やりたい」ではなく「やらなくてはいけない」という姿勢は、プライベートなことにせよ、ビジネスにせよ、いつかは破綻します。
皆さんのような意識の高い、フリーランス/起業家の皆さんは、そのような破綻が見えているやり方を選択せず、その「一瞬」に「やりたい」と思ったことを貫き通し、真の成功を目指して欲しいと思います!
この「一瞬を大切にしよう!」は、また、本ブログやメルマガで掘り下げていきたいと思います。