皆さん、こんにちは。
ここ一週間ほど、子どもがサッカーチームのイタリア研修に行っていたため、日々の心配から解放され、ひたすら家にこもって仕事をしていました(いつもこもっていますが…笑)
イタリアでは、現地の計らいでセリエAの試合のハーフタイム中にピッチに立たせてもらい、5万人の観衆に囲まれながらのプラクティスマッチを体験するなど、かなりの刺激を得て帰ってきた様子です。
ところが、やる気いっぱいで日本に帰国するも、時差ボケも手伝い、溜まっていた勉強は放置で、残りの春休みをだらだらと過ごして新学期に突入してしまいました。
できれば周到に準備をしてスタートを切って欲しかったのですが、ここしばらくあれこれ言いすぎたこともあり、四月は黙って本人の気持ちに任せようと、何も言わず見守っています。
しかしながら、サッカーは7歳から続けていることもあって、何の不満も言わず遠いグラウンドに足を運び、練習を続けることができていますが、今は物心ついた年齢ということもあり、ゴール達成のために乗り越えるべき事柄をイメージさせることがなかなか難しいと感じている次第です。
もちろん、大人であろうと、新たなチャレンジを目の前に成す術を見つけられなかったり、モチベーションを高めることができず諦めてしまうこともしばしばですが、例え将来のことがわからなくとも、ゴールへのステップについて臨場感を高めることは誰にでもできます。
多くの人が、漠然とした目標を持っていても、そこに至る過程に踏み込むことができなかったり、どのような道を進んでいけばよいかわからないのは、目の前にある選択肢に気づくための「知識と経験」が不足しているからです。
例えば、これまでプログラマーなどのエンジニアになれたのは、裕福な環境でPCやインターネットを十分に使える地域の人だけでしたが、スマートフォンを中心に世界中で爆発的にインフラが普及し、誰もが知識を得られるようになった現在では、つい最近まで「発展途上国」と呼ばれていたような国々から次々と優秀な技術者が排出され、中国やインドなどは「IT大国」として認知されるようになりました。
あるいは、先のサッカーの話で言えば、優れた遺伝子と肉体を持つアフリカ諸国でも、プロサッカー選手になれるのは一握りの人間だけでしたが、今ではヨーロッパなどから資金が入り、育成機会も増え、多くの「知識と経験」を得られるようになったことから、沢山のアフリカ系選手がトップリーグで活躍しています。
逆に私たち日本人は、他の国に比べればかなり恵まれた環境で生活していますが、多くの日本人は「恵まれた環境=ぬるま湯」につかってしまっているためか、そのアドバンテージを活かせずにいると感じます。
そして、大抵の場合、歳をとってから自らの行いの結果を知り、「あの時ああすればよかった」などと後悔する人がほとんどです。
自分の趣味や関心に気づくことで「未来の選択肢」は増えていくわけですが、その趣味や関心に気づくためには、「知識と経験」無しに、その機会を得ることはできません。
私は、自分の子どもと付き合っていくことで成長したことも多く、今でも子どもとの関わりを通じて沢山の気づきを得ていますが、もっとも実感しているのは、「とにかく勉強は必要である」ということです。
もっとも、私が気づきを得させてもらっている当の本人には、なかなか伝わっていませんが、「学ぶ機会」を得ること、そして「知識と経験」を増やすことは、早ければ早いに越したことはありません。
よく「学校の勉強なんて意味がない」とか「学校の勉強は社会で役に立たない」などと言う人がいますが、ある側面では一理あるとしても、そのように公言している人は、自ら勉強する方法を知っていて人生をうまく立ち回れているか、あるいは「実は役にたつ」ことに気づいていないだけでしょう。
私は、義務教育レベルだけでなく、高校や大学レベルの教養があれば、もっと沢山の人の心が豊かになり、自分のやりたいことがもっと出来るようになると思っています。
何故ならば、以前の記事でもお話しているように、人間の脳は、例え目の前にある情報であっても、知らないことや関心の無いことは、その大脳辺縁系で「無かったこと」にしてしまうからです。
皆が見ている目の前の情報も、自身の「知識と経験」によって得られる量に違いがあり、つまりは、未来の選択肢の数も変わることになります。
もちろん、学校の勉強だけでなく、「遊び」を通じた「知識や経験」から得られることも沢山あるでしょう。
いずれにせよ、「未来の選択肢」を決める大きな要素の一つは「知識と経験」です。
どんなことでも貪欲に学び、自身の知的好奇心に従って勉強を続けていけば、やがては成功に通じる多くの選択肢が目の前に現れるはずです!
この「知識と経験が織りなす未来の選択肢!」は、また、本ブログで掘り下げていきたいと思います。