皆さん、こんにちは。
すっかり年の瀬となり、皆さんの仕事によっては「年末進行」や「繁忙期」と言った言葉が増えてきているかもしれません。
年末と言えば忘年会ですが、私は、数年前からしばらく呑み会やら忘年会などを断り続けていた結果、すっかり誰からも誘われなくなっていたので、今年の後半は少し表に出ようと、色々な会に顔を出すようにしています。
先日は、とある集まりで、昼間から翌朝の始発までという、超絶長丁場の呑み会に参加しました、笑
終電が無くなった後はカラオケで朝までコースだったのですが、私は、そもそもカラオケにも行かなければ、歌うこと自体趣味ではないので、ただ皆が盛り上がっているのを傍で眺めて楽しんでいるだけでした。
私がカラオケに行かないのは、いわゆるカラオケソングを聞かないことと、皆が知らない曲を歌っても場が白けるからですが、私にとっては、他の人が楽しんでいるのを眺めているだけでも十分です。
そのカラオケで、ふと気づいたのが、歌いながら選曲している人たちが「DJ視点で楽しんでいる」ということでした。
その日は、たまたま趣味が合う人が集まっていただけなのかもしれませんが、誰かが一曲歌うと「その曲で来たなら、次は〇〇」のように、今盛り上がっている曲から思いついた曲を次々と選曲する様が「DJ的発想」だと感じたのです。
DJは基本的に「自分がかけたい、皆が盛り上がる曲」を選曲するのが醍醐味ですので、「自分が歌いたい、皆が盛り上がる曲」を選曲する様は、正に同じ感覚です。
「だからなに?」と思われるかもしれませんが、私は、皆がカラオケの選曲に興じている姿を見て、「誰しも自分の独自性や発想を持っているんだなあ」と思うと同時に、それに気づかず「自分は好きなことが無い」「自分は平凡な人間だ」と思っている人が多いなと考えたのです。
「やりたいこと探し」や「好きなことで生きる」的な話は、割と賛否両論があるため、ここでは掘り下げませんが、「好きなことが無いんです」とか「やりたいことが無くて」などと思っている人も、実は、自分の趣味趣向であったり、自分なりのやり方を無意識に模索しています。
しかし、些細なことであるが故、自分自身が生み出している、ちょっとした「自身の価値」に気づくことはありません。
私自身は、子供の頃から欲があまり無く、地味に活動してきた一方、趣味関心は沢山あったため、それほど多くの人が知らない(自分自身が)物凄く楽しいと思ってることを深掘りして、皆にシェアすることが楽しみでした。
私は1990年からDJをやり始めましたが、当時はDJ人口も少なく、ましてやスクールなどもありませんでしたので、私にとっては格好の趣味となりました。
又、DJ向けにリリースされたアナログ盤には、ラジオでかかるバージョンとは別のバージョンが収録されていたり、アルバム未収録の曲があったりと、隠れた名曲を探して皆にシェアするということは、宝探しのような「自分だけの特別」な感覚だったのです。
私の場合、DJというものに出会えたのは大きなことでしたが、どんな人も、日常生活で「自分だけの特別」を発見することがあります。
例えば、通勤途中で近道を見つけるのも、ちょっとした「特別」ですし、ルーティンワークをこなす中で効率化を図り、自分なりのやり方を考えたりするのも、自分にとっての「特別」です。
何か新しい仕事をスタートする際に、まずは人の真似から入ったとしても、人真似を続けている内に、自分に合ったやり方を見つけるタイミングがやってきます。
通勤時の近道や雑事の効率化が、誰かに役立つわけではありませんし、人真似から始めた仕事の中で見つけた自分のやり方も、即座に大きな利益をもたらすわけではありません。
しかし、そのような「自分だけの特別」を少しずつ意識して積み重ねている内に、僅かな「自身の価値」であったものが、やがて大きな「自身の価値」へと変化していくことに気づきます。
すると、今度は、自分自身に留めていた「特別」が、「人とシェアしたい」「外に発信したい」という気持ちに変わっていくことでしょう。
それこそが、「やりたいこと」「好きなこと」であり、「自身の価値」につながると言えます。
ここ数年よく言われている、「やりたいこと探し」「好きなことで生きる」のようなことについては、色々な側面から意見がありますが、もっと単純に、小さな「自分だけの特別」に気づき、少しずつ積み重ねていけば、それが「自分らしさ」であり、やがて積み上がった「自身の価値」は、人生に大きな価値をもたらすはずです!
この「「自分だけの特別」を積み重ねて築く自身の価値!」は、また、本ブログやメルマガで掘り下げていきたいと思います。