皆さん、こんにちは。
「錬金術」という言葉がありますが、特に日本だと、悪徳商法の代名詞のように使われることもあり、あまり錬金術そのものに関心が無かった頃の私は、あまりいいイメージを持っていませんでした。
元々「錬金術」とは、主に、鉄や銅などの卑金属から金や白金といった貴金属を作り出すことを指しますが、その歴史は長く、また、国や文化によって幅広く行われてきた、言わば一種の研究のようなものです。
錬金術の始まりは3世紀ごろにまで遡り、その後、アラブ、インド、中国、そして、ヨーロッパなどで同様のことが試みられ、やがて、現代化学の基礎にまで発展することになります。
その過程で生まれた錬金術の思想は、完全なる人間、不老不死、さらには宇宙にまで及び、宗教的な思想を経て、ある意味、人間の夢のように扱われてきたとも言えます。
私が、この「錬金術」に共感を覚えたポイントは、「瑣末(さまつ)なもの」から「物凄いもの」を作り出そうという点です。
冒頭で触れた、日本での悪徳商法的な意味の「錬金術」は、言葉の使われ方こそ良くないものの、根本的な考え方は、無に近いようなものから、より大きなものを生み出そうというところであり、私は、この「錬金術的思想」を、悪徳商法的な向きでなくとも、あらゆることに適用できるのではないかと考えています。
卑金属から貴金属を生み出そうとする錬金術は、科学的/科学的に不可能であることは証明されていますが、この錬金術的思想/思考は、人間のアイデアを具現化するための基本的なプロセスであると言うことができます。
私は、ブログを更新したり、会報に寄稿したりと、定期的に文章を書いていますが、時間的な制約はさておき、「ネタは無尽蔵に湧いてきて、いくらでも書ける」と思いながら毎回執筆していています、笑(「お前のは大した文章じゃない」という批判はあるかもしれませんが)
それは、何故かと言えば、この「錬金術的思考」がベースにあるからです。
そもそも、文章はフィクションにせよノンフィクションにせよ、書く人の主観的創作ですから、いくらでも自由に書けるわけですが、実際書いてみるとわかるように、文の構成を考えながら、つらつらと自分の考えを言葉にしていくのは、慣れていないと難しいものです。
連載している場合ならば、そのネタを生み出し続けるのは、なかなか厳しいでしょう。
しかし、「錬金術」の元々の考え方が「卑金属から貴金属を作ること」だったように、私たちの目の前に広がる世界には、その「卑金属」となるアイデアが無数に存在しています。
それは、道路の標識、道を行き交う人、あるいは、空に浮かぶ雲や、道端の花など、普段大して気に留めなかったことも、捉え方によっては、貴金属へと変えることが可能になります。
「錬金術」についての英語の文献を見てみると、「transmutation」という言葉が書かれています。
「transmutation」とは「trans=別の状態に」「mutaiton=変容する」という意味の単語ですが、道路標識や空に浮かぶ雲も、「transmutation」することが可能なのです。
「錬金術」には「エリクサー」と呼ばれる霊薬があり、これを用いることで、貴金属を生み出したり、病気を直すことが可能であると考えられていました。
もちろん、そのようなものは存在しませんが、前述の話において、この「エリクサー」に値するものが、「知識」と「経験」です。
例えば、道路標識にしても、ちょっとした標識の知識があれば、「転回禁止という標識がありますが…」とか、「時間や距離を制限する補助標識が…」などという切り口で文章もかけるでしょうし、そうしたトリヴィア的なことに基づく自身の経験(例えば交通違反の話など)があれば、あっという間に、文章のひとネタは出来上がってしまいます。
もっとも、これは極身近で簡単な例ですが、例えば、ビジネスにおいても、何かを変えたり、何かを生み出そうとする行為には、その元となる「卑金属」と「エリクサー」があれば、その解決の糸口が容易に生まれてくると言うわけです。
その「卑金属」と「エリクサー」は、前述のように「知識」と「経験」です。
前回や、それ以前の記事で「思考の抽象度」という考え方をお話しましたが、「情報を取りまとめる概念の度合い」である「抽象度」が高くなると、物事をより俯瞰することができるように、「知識」と「経験」を深めることで、「エリクサー」はより機能し、世の些細な物事「卑金属」も「貴金属」に変換することができます。
「エリクサー」である「知識」と「経験」は、一朝一夕には身に付けることができませんが、この「錬金術的思考」を元に、身の回りの物事を「卑金属」と意識することで、自らの「エリクサー」が機能し、「貴金属」を生み出す「錬金術」を身に付けることができるでしょう!
この「錬金術的思考を磨こう!」は、また、本ブログやメルマガで掘り下げていきたいと思います。