皆さん、こんにちは。
皆さんは、子どもの頃、何になりたかったですか?
私は、あまり覚えていないのですが、重い病気で入院していた4〜5歳の頃は、電車の運転手になりたいと思っていました。
そもそも電車は好きでしたが、同じ病室の隣のお兄さんが鉄道マニアで、自分が撮った写真を分けてくれたり、電車のペーパークラフトを作って見せてくれたりと、小さかった私はすっかり魅せられて、電車に関わる仕事に就きたいと、子ども心に願ったわけです。
もっとも、小さな頃から今に至るまで、興味の対象が次々と出てくる多趣味故に、その後は、明確に「何かになりたい」ということはありませんでした。
あまり裕福でなかった家庭環境が理由で諦めていたのかもしれませんが、自分が没頭したものに対しては、心のどこかで「こうなりたい」「こういう人に会いたい」みたいなことを思っていましたので、その気持ちを基盤に、ある程度の願いは叶ってきました。
しかし、私は欲があまり無いせいか、どれも中途半端になってしまったのは反省するところですが、少なくとも「願えば叶う」は、心の奥底で原動力にしてきたつもりです。
ほとんどの人は、「単に願ったところで、何も起こらないよ」と思うでしょうし、私も、「果報は寝て待て」ばりに、ぼーっと何も努力せず待っていたところで、願いは叶わないと思っています。
それでも、願う気持ちが大きければ大きいほど、目指すビジョンがリアルになり、その願いに向かって無意識に行動できるようになると、やがて、自分の周りの環境が変わっていることに気づきます。
私は、ここしばらく考えることが多く、すっかり心に余裕がなくなっていたのですが、最近、自分がハマれるものに気持ちが行くようになったため、昔の気持ちが徐々に蘇り、「この人に会ってみたいな」とか「三ヶ月後、こうなっていたいな」などと思うようになった結果、少しずつ(割と早く?)その願いが叶うようになったのです。
とは言え、結果論ですから「たまたまでしょ」と言われたらそれまでなのですが、少なくとも私が辿ってきた経験からやってくる実感としては、手応えのある流れだと感じています。
前回の記事や、あるいは、以前のお話でも散々紹介している「ホメオスタシス」は、車に例えて言うと、「願えば叶う」を行動に変えていく原動機(エンジン)であり、その「願い」は原動力(ガソリンや電気)そのものです。
そして、その表裏一体となっている「コンフォートゾーン」という考え方は、自身が描いた「自分がいるべき環境」であり、強い願いによって「ホメオスタシス」が自分を前進させ、「コンフォートゾーン」がレベルアップし、無意識/潜在意識は「もっとステップアップしているべきだ」と自分に働きかけ、行動と結果を生み出します。
逆に「どんなに願っても全く実現しない」という場合は、たまたま運が付いて来なかっただけか、大して本気でなかっただけということでしょう。
「願えば叶う」は「必ず叶う」のようなマジックワードではありませんが、何かに没頭し、「願えば叶う」とぼんやりとした自信を持てるようになると、必ずゴールへの道はひらけていきます。
「なにかに没頭できない」「目標に向かって自信が持てない」という方は、この「願えば叶う」をバロメーターに、自分の本気度を測ってみてください。
「願えば叶う」を原動力に、不安や心配が確信に変わった時、あとは突き進むだけでゴールは実現していくことでしょう!
この「「願えば叶う」はゴールに向かう原動力!」は、また、本ブログやメルマガで掘り下げていきたいと思います。