皆さん、こんにちは。
先日、定期で参加している、ある物理学博士の会で、博物館を訪れました。
その博物館では、地球の誕生から、生命が生まれて現代に至るまでの「進化」の過程を時系列で展示しているのですが、その日は、館長直々に案内していただき、さらには同行していた昆虫分野の著名な博士が、生物のコーナーで解説を加えるなど、とても贅沢な一日でした。
その「進化」の過程は、人類史以前、何万年、何億年とかけて、激動の変遷を経てきたわけですが、今では、私たち人間の進化も停滞し、生命で最も発達した頭脳によって、様々なテクノロジーが生まれているものの、当の人間自体のスペックはさほど変わっていないように思えます。
それは、逆に言えば「進化する必要が無くなった」からであり、利便性や生命の安全を享受している私たち人間が、「自ら進化をやめた」とも考えられます。
しかし、私は、時々「このままの人間で満足していていいのだろうか?」と考えることがあります。
以前、私は、左耳の鼓膜が破れ、再生後、鼓膜が破れる前よりも聞こえがよくなった、という話をしましたが、こうした再生能力を含め、人間には、まだまだ「進化」するためのポテンシャルがあると信じています。
その「耳」ですが、進化の過程を辿ると、そのルーツは、魚類の持つ「鰓(えら)」にあります。
魚の鰓は、一般的に、呼吸をするだけという認識が強いと思いますが、この鰓は、自分の泳いでいる方向や傾きを知るためにも機能しています。
魚は水中にいるため、当然、鰓に水が通りますが、その際、毛状の感覚器に触れることによって、平衡器官としての役割を果たし、自分がどっちを向いて泳いでいるか感じることができるのです。
そして、陸に上がった魚の鰓は不要になり、今の耳になっていくわけですが、私たちの耳が(三半規管などの)平行器官として機能しているのは、その名残だからです。
この進化の過程で、魚たちが、「水中は飽きた、もっと別の世界に行きたい!」と思ったかどうかはわかりませんが、陸地に上がり、体や器官の形を変えることができたのは、きっと、なにか進化のための強力な原動力があったからに違いありません。
現代の人間は、前述の通り、特に進化する必要もなく、自身が生み出しているテクノロジーをシェアしながら利便性を享受すればよいので、進化した魚のような大きな「原動力」を発揮することは、今のところ、ほとんどありませんが、私たち人間は、まだまだ進化するポテンシャルを持っています。
「遺伝子は、変えられる。」という本の紹介でもお話ししたように、「親が勉強できないから、その子どももできない」なんてことは無いことも遺伝学的にわかっていますし、大きな原動力さえあれば、翼が生えて空を飛ぶことができたり、時速200kmで走れるようになるかもしれません。
その原動力は、少なくとも「モチベーション」のような形で、日々感じることがありますが、人が自分を前進させるためにモチベーションアップを図るように、さらなる推進力を得るためには、「自分は進化する!」と強くかんじることが必要です。
人は、うまくいかない時、なかなか前進ができない時、「進化」どころか、やる気を喪失して自身の「原動力」を失っていきますが、そのような時こそ「自分は進化する!」ということを強くイメージし、今やれることを淡々とこなしていけば、やがては、それが原動力へと転換し、機が熟した時には、それが本当の推進力として自分を押し上げてくれるはずです。
逆に、現在、軌道に乗っている状態ならば、さらなる「進化」をイメージすることで、水生生物が陸上に上がった時のような、大きな原動力を生み出し、さらなる成功マインドを得ることができるでしょう!
この「「進化する」を信じることで伸ばす成功マインド!」は、また、本ブログやメルマガで掘り下げていきたいと思います。